『怒首領蜂』以前の弾幕STG誕生史って、意外とまとめられてなくね?
https://twitter.com/Tarako_9p/status/1062217955658784768
自機の判定の大きさを駄目出しされたよ!(達人王)
↓
反省して自機の判定をめっちゃ小さくしてみたよ!(ヴイ・ファイヴ)
↓
避けやすくなったから敵弾も増やしてみたよ!(バツグン)
↓
この路線でいけそうだからじっくり調整してみたよ!(怒首領蜂)って流れで進化して誕生したのが、弾幕系。
先日ツイッターに書いた、弾幕STGに関する↑の私の発言、40代辺りの古くからのシューターさんにはおおむね共感してもらえると思うんですが、若い人や、STG畑以外のゲーマーさんに、こういう認識はないだろうな、と。
この辺の「弾幕STG誕生史」的な話については、ネット上でときどき議論になっているのを見かけますが、当時リアルタイムにゲーセンで遊びまくっていた私から見ると、議論され尽くした同じ話が何回もループしているように見えます。車輪の再発明的な議論が何度も繰り返されるのも不毛なので、弾幕STG誕生史について、僭越ながら私、不肖たらこがこの記事でまとめさせて頂こうかと。
これから書く話は、あくまで私が1プレイヤーとして当時の雑誌記事やプレイ体験、STG仲間との議論等を元に推測したものではありますが、それほど外した内容にはなっていないつもりです。
とはいえ私の見解が必ずしも「正史」だとも考えていないので、異論・反論・ツッコミ大歓迎。コメント欄やツイッターハッシュタグ「#弾幕STG誕生史」*1で、ドシドシご連絡ください。弾幕STG誕生の「正史」をみんなで作り上げましょう(笑)この記事がその下敷きになれば、これ幸い。当時の開発者の方の証言が出てくると最高なんですけど、なかなか難しいでしょうね…
参考までに、私のスペックは↓。
- 1977年産まれの41歳。
- 高校からの学生時代(1993年~2000年)、ほぼ毎日ゲーセンに通いSTGを遊びまくっていた「シューター現役世代」。
- ゲーメスト全一経験あり。
- 00年代以降の開発者インタビュー等は疎いので、そこらへん補完してもらえると嬉しい。
- ついでに記事中の雑誌記事持ってる人がいたら、検証画像とかアップしてもらえるとなお嬉しい。
90年代STGの知識と腕に関しては、そこそこ、自信アリです(笑)
弾幕STGの特徴
弾幕STGとは、どのようなゲームなのでしょうか?一般的に弾幕STGは、以下の特徴を持ったSTGであると定義されています。
- 画面を覆い尽くす程の、圧倒的な敵弾量(=弾幕)。
- 敵弾のスピードは遅い。
- 自機・敵弾共に当たり判定が非常に小さく、難しそうな見た目に反して被弾しにくい。
これら要素の相乗効果により、
- 一見異常な無理ゲーに見えるが、プレイしてみると意外に遊べる「俺TUEEEE!感」。
- 弾幕を見てからかわせるので、初見殺しの理不尽さが発生しない「納得感」。
- 敵弾の隙間をかいくぐる「スリリングさ」。
- ギャラリーにもプレイヤーの凄さが伝わりやすい「分かりやすさ」。
これら弾幕STGの文法は、CAVE社の大ヒット作『怒首領蜂』(1997)で確立され、それ以降に発売された近代STGの多くは、この弾幕STGの文法に沿って制作されています。STGの歴史は、『怒首領蜂』を境に弾幕以前/弾幕以後に分けられる。ここまでは、多くの識者の見解が一致する部分だと思います。が…
それでは、弾幕STGの草分けとなった『怒首領蜂』とは、どのような歴史の流れの中から産まれてきたゲームだったのでしょうか?
他の「ジャンルの始祖」とされる名作ゲームたち同様、『怒首領蜂』も、ある日いきなり突然変異のように産まれてきたわけではありません。JRPGの始祖である『ドラゴンクエスト』が『ウィザードリィ』や『ウルティマ』を下敷きにしているように、『怒首領蜂』も、それまでに発売された数多くのゲームの影響の元で誕生したゲームなのです。
この記事では、『怒首領蜂』とはどのような歴史の流れの中で開発されたゲームなのか。その「弾幕前夜」の歴史に迫ってみたいと思います。
「当たりやすいんだよクソデブ自機が!ダイエットしろ!」 - 『達人王』
『怒首領蜂』から遡ること5年前の1992年、『達人王』というSTGが東亜プラン*2から発売されました。このゲームの特徴(のひとつ)は、とにかくデカい自機の当たり判定にあります。
www.youtube.com↑中ボスの周りを回って大きく避ける。弾の隙間に入ろうとすると、まず死ぬ。
↑の動画は『達人王』4面中ボス戦ですが、中ボスの周りをぐるぐると回るように弾避けを行っており、弾幕STGのように「多ウェイ弾の間に入って敵弾をかわす」系の技術は一切使用されていません。そんなことをすれば、デカすぎる自機の当たり判定に敵弾が引っ掛かり、高確率で死ぬからです。
上記シーンのように、このゲームの弾避けの基本方針は、「最大速までスピードアップアイテムを取り、速度を活かして弾幕の外側に抜ける」です。間違っても昨今の弾幕STGのように、敵弾の隙間に入って避けようとしてはいけません。死にます*3。
↑有志が作成した『達人王おじさんbot』も、こうおっしゃっています。弾の間を避けるのは難しい!無理せずに外から大回りで回避するのだ!pic.twitter.com/TDRGN1psn8
— 達人王おじさんbot (@emeraldseijin) 2018年11月15日
このデカすぎる当たり判定は、熱心なSTGファンとしても知られるゲームライター渋谷洋一氏により、ファミ通誌上で酷評されています*4。曰く、
「当たりやすいんだよクソデブ自機が!ダイエットしろ!」
まったく酷い言われようですが、私も完全に同感でした。当時、同じ事を感じたゲーマーも多かったのではないでしょうか。「避けたつもりなのに、"なぜか"*5死んだ」感。これは、STGプレイヤーに多大なストレスをもたらすマイナス要素なのです。
『達人王』はSTG史上最高難易度を誇るゲームのひとつとして数えられ、現代ではそのシビア過ぎるゲーム性が逆にオンリーワンの魅力となりマニアから高い評価と人気を獲得していますが(私も大好きです)、そのあまりの高難易度から当時の一般客層からは敬遠され、インカムも振るわず、STG衰退の一因を招いたゲームとも言われています。
このことへの反省なのかそうでないのか、以降、東亜プランは『達人王』の欠点を補完していくかのようなゲーム性を持つSTGを、次々とリリースしていくことになります。その"脱・『達人王』"第1作目となるゲームが、翌年1993年に発売された『ヴイ・ファイヴ』です。
注:ここでは『達人王』の自機判定のデカさに着目しましたが、ここだけ見るなら『達人王』の判定は当時基準でそこまで大きいわけでもありませんでした。『達人王』並みに自機の判定の大きいゲームは、他にもあった。『達人王』が他のゲームと違っていたのは、「そのうえ敵弾が速い上に多い」という、敵の攻撃力とのバランスです。『達人王』の自機の判定は、敵の攻撃力に比べてあまりにも大きすぎた。これが、『達人王』の自機判定が酷評された、大きな理由です。
『達人王』への反省。そして弾幕系の萌芽 - 『ヴイ・ファイヴ』
みなさんは、『ヴイ・ファイヴ』というゲームを御存じでしょうか?今回取り上げるゲームの中では最も知名度が低いと思われるゲームで、『達人王』の翌年1993年、同じく東亜プランから発売されました。
このゲーム最大の特徴は、『達人王』から大きく縮小された自機の当たり判定にあります。それに伴い敵弾にも調整が入り、『達人王』と比べ「遅く・量が多い」敵弾が展開され、その隙間をかいくぐる…まさに、後に「弾幕系」と呼ばれることになるSTGに近いゲーム性となっています。
以下の動画は4ボス、5ボス戦ですが、『達人王』とは異なり、「遅い弾幕の隙間をかいくぐる」弾幕系の弾避けが展開されているのがお分かりいただけると思います。このようなプレイングは、自機の判定がデカすぎる『達人王』では絶対に不可能な芸当でした。
www.youtube.com↑緑の敵弾に注目。
www.youtube.com↑中央からの弾、『達人王』ならゼッタイ回避不能。
更に2周目では、1周目でさえ相当な量を誇っていた弾幕に撃ち返し弾が追加され、画面は敵弾で埋め尽くされます。
www.youtube.com「弾幕」!いえーい。
このように『ヴイ・ファイヴ』では、前作『達人王』から大きくゲーム性の転換が行われています。
達人王 | ヴイ・ファイヴ | |
弾の量 | 少量 | 大量 |
弾速 | 高速 | 低速 |
自機の当たり判定 | デカい | 小さい |
弾避けの方針 | 弾塊の外側を回る | 弾幕の隙間をかいくぐる |
そしてこの転換は、開発陣の意図的なものでした。当時、ファミ通でスタパ齋藤氏が担当していたアーケードゲームコーナーで『ヴイ・ファイヴ』が紹介された際、「このゲームでは、びっくりするくらいもの凄い量の敵弾が飛んできますが、意外と死にません。死なないように、極限まで自機の当たり判定を小さくしたからです。ズギャッ!*6」という旨の開発者のコメントが掲載さてれており、これを読んだ私は、「東亜プラン、分かってんじゃん!」と、喝采を上げたのをよく覚えています。
この変化は、冒頭に挙げた弾幕STGの方向性と、完全に一致する方向性を持った変化です。さらにこれは、前作『達人王』で批判された理不尽さや、ストレスが溜まる要素を丁寧に排除していった結果であるという点も、見逃せないポイントでしょう。
この2点は、弾幕STG誕生の流れとして、絶対に外してはいけない重要なポイントです。
このように『ヴイ・ファイヴ』は、『達人王』のゲーム性から『弾幕STG』としてのゲーム性へと、東亜プランが大きく舵を切った最初のゲームといえます。とはいえ『ヴイ・ファイヴ』は、現代の弾幕STGに比べればまだまだ敵弾も少なく、速く、自機の当たり判定も大きめです。ですので、このゲームを単体で遊んで「弾幕系だ!」と感じる方は、現在では少ないかも知れません*7。
このゲームが「弾幕系」に近いと考えられるのは、あくまで『達人王』からの一連の東亜プラン作品の流れの中の作品として考えた場合です。『達人王』と『弾幕系』の中間的なゲーム性を持つ、過渡期のあいの子的作品。それがこの『ヴイ・ファイヴ』なのです。
そしてこのゲームが持つ「弾幕系」の方向性は、次作『バツグン』及びそのバージョンアップ版である『バツグンSPバージョン』で、更なる発展を遂げることになります。
画面を埋め尽くす圧倒的弾幕(達人王比)!達人王ならもう死んどるで!
ちなみに『ヴイ・ファイヴ』は、後に『怒首領蜂』のメイン開発者として「弾幕STGの始祖」と呼ばれることになるIKDこと池田恒基氏のデビュー作です。氏が2003年に開発した『ケツイ~絆地獄たち~』の2周目で発生する撃ち返し弾には、『ヴイ・ファイヴ』2周目と全く同じ撃ち返し弾発生アルゴリズムが使われており、氏の「弾幕STGの始祖」としての片鱗は、このデビュー作の時点ですでに垣間見えていたと言えるでしょう。
エンドクレジットに燦然と輝くIKD氏の雄姿!